やさぎコンクール 銅賞
日本ギター合奏連盟主催の重奏フェスタの中で行われる「やさぎコンクール」に「くじらギター重奏団」のメンバーとして、参加した。
「やさぎコンクール」というのは30周年記念ということで、今年から始まったコンクール。
合奏連盟が出版している「やさしいギターアンサンブル曲集」(全7巻)の中から、選曲して演奏する、というもの。
「やさぎコンクール」に続いて「重奏コンクール」が今年も行われた。
こちらには、24回に出場し一般奨励賞をいただいたが、レベルが高く、プロまたはプロを目指している若い人たちのためのようなコンクールで、我々には、歯がたたないというか場違いな感じさえあった。
今年の「重奏コンクール」は、参加者も多く、卓越した技量に裏打ちされた素晴らしい演奏が続いた。
この中から優劣を決めるは、難しいだろうなあ、と思った。
さて、「やさぎコンクール」だが、出演順は、最後から2番目。
十分に、楽屋で準備はできたのだが、余裕をもって、舞台袖に行くつもりが、迷路のようなホールの通路で迷い、おまけに予定が早まっていて、とにかくチューニングは舞台でもできるから、と慌てて押し出されるように舞台に立つ。
そうでなくても緊張して当たり前のコンクール、あがり症の僕があがらないわけがない。久しぶりに手の震えを感じ、他のメンバーもいつもとはちがう、と思いながら、何とか弾き終えたが、こんな演奏では……、と思うような出来だった。普段緊張しない加藤さんもあがった、と言っており、他のメンバーも同様に緊張して、うまく弾けなかったらしい。
これでは、結果は知れているだろうとお思い、あんな演奏では、賞をもらってもうれしくない、と平沢さんに話すと、笑いながら、賞には入らないから大丈夫、などと話していた。
しかし、審査結果の発表が近づくにつれ、それは、賞がほしいという裏返しの気持ちだということに気が付いた。
ステージに上がって、審査結果の発表。
入るとすれば、銅賞(3位)しかないだろうと思っていると、「銅賞は、くじらギター重奏団……」。
よかった、本当にうれしかった。
あがらなければ、金賞だったかも、と打ち上げの席で話が出た。
それはともかくとして、コンクールに参加することによって、我々の演奏レベルが、あがったことは確かだ。
来年また、同じコンクールがあれば、リベンジしてみるのもいいかもしれない。
コンクールを終え、会場を後にするとき、20歳前後の入賞しなかった重奏コンクールの参加者たちが、なんともいえない寂しい姿で、会場を後にするのを見た。
絵描きになってやろうと、コンクールに落選を繰り返していた自分の若い頃のことを思い出す。
希望と絶望の繰り返し、不安、焦り…。
自分がまだ何者でもなく、何かになろうとして必死にもがくように生きていたような気がする。
もう二度とあんなことはしたくないと思うが、それが今の自分の糧になっていることは間違いないことだと思う。
紙一重で、賞からもれた人々に幸いあれ。
「やさぎコンクール」というのは30周年記念ということで、今年から始まったコンクール。
合奏連盟が出版している「やさしいギターアンサンブル曲集」(全7巻)の中から、選曲して演奏する、というもの。
「やさぎコンクール」に続いて「重奏コンクール」が今年も行われた。
こちらには、24回に出場し一般奨励賞をいただいたが、レベルが高く、プロまたはプロを目指している若い人たちのためのようなコンクールで、我々には、歯がたたないというか場違いな感じさえあった。
今年の「重奏コンクール」は、参加者も多く、卓越した技量に裏打ちされた素晴らしい演奏が続いた。
この中から優劣を決めるは、難しいだろうなあ、と思った。
さて、「やさぎコンクール」だが、出演順は、最後から2番目。
十分に、楽屋で準備はできたのだが、余裕をもって、舞台袖に行くつもりが、迷路のようなホールの通路で迷い、おまけに予定が早まっていて、とにかくチューニングは舞台でもできるから、と慌てて押し出されるように舞台に立つ。
そうでなくても緊張して当たり前のコンクール、あがり症の僕があがらないわけがない。久しぶりに手の震えを感じ、他のメンバーもいつもとはちがう、と思いながら、何とか弾き終えたが、こんな演奏では……、と思うような出来だった。普段緊張しない加藤さんもあがった、と言っており、他のメンバーも同様に緊張して、うまく弾けなかったらしい。
これでは、結果は知れているだろうとお思い、あんな演奏では、賞をもらってもうれしくない、と平沢さんに話すと、笑いながら、賞には入らないから大丈夫、などと話していた。
しかし、審査結果の発表が近づくにつれ、それは、賞がほしいという裏返しの気持ちだということに気が付いた。
ステージに上がって、審査結果の発表。
入るとすれば、銅賞(3位)しかないだろうと思っていると、「銅賞は、くじらギター重奏団……」。
よかった、本当にうれしかった。
あがらなければ、金賞だったかも、と打ち上げの席で話が出た。
それはともかくとして、コンクールに参加することによって、我々の演奏レベルが、あがったことは確かだ。
来年また、同じコンクールがあれば、リベンジしてみるのもいいかもしれない。
コンクールを終え、会場を後にするとき、20歳前後の入賞しなかった重奏コンクールの参加者たちが、なんともいえない寂しい姿で、会場を後にするのを見た。
絵描きになってやろうと、コンクールに落選を繰り返していた自分の若い頃のことを思い出す。
希望と絶望の繰り返し、不安、焦り…。
自分がまだ何者でもなく、何かになろうとして必死にもがくように生きていたような気がする。
もう二度とあんなことはしたくないと思うが、それが今の自分の糧になっていることは間違いないことだと思う。
紙一重で、賞からもれた人々に幸いあれ。
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