アルトC菅高音問題再び

 今日もアルトC菅の製作に苦戦。納得のできる音にならない。

 先日、「オカリナを立てて吹くと高音が出るのか詳しいことは分からないが、このようにしなければ音が出ない楽器はAC菅にかぎらず、僕は欠陥品だと思っている。」と書いた。
 「欠陥品」という言葉はあまりに過激、というか適切ではなかったと思う。
 オカリナの音は、個人の感覚によって違っている。あくまでも僕個人のことであるので、それを一般化するような表現はよくない。
 僕のオカリナは立てて吹くといい音にならない。そうではない音を追及している、ということを言いたかったのだ。
 クリアーな音は味がない、かすれる音や、割れる音がいい音だと感じる人もいれば、柔らかな響く音よりも硬い強い音を好む人もいる。
 立てて吹くオカリナの高音がいい音だと感じる人には、挑戦的だと思われたに違いない。
 ただ、オカリナの高音域に限って、立てて吹かなければいけない、というのはやはり楽器の機能としては違和感を覚える。すべての音を立てて吹くというのなら、そのような吹き方をした方がいい音が出る、ということになるのだが高音域に限って、ということになると……。

 ギターを弾く時の断弦位置は、サウンドホールの少し駒寄りのポジション(ノーマルポジション)ということになっている。
 ノーマルポジションよりもネック方向にずらして弾くと弱くやわらかな音がする。駒近くで弾くと硬く強い音が出る。サウンドホール真ん中で弾くと一番響く音になる。
 そして、これらの位置を時によって使い分けるのだが、硬く強い音を必要とするフラメンコギターなどは、駒近くがノーマルポジションらしい。
 ただ、これらの使い分けは音色の違いであって、音の高低にはあまり関係がない。

 ピアノや、ギターなどの他の楽器でも、高音域があまり響かない楽器がある。高音になるとコツコツというような響きのない音になるのだ。名器はこの高音ののびが素晴らしい。
 このような現象は、大きな楽器の高音域に現れる。
 コップに水を入れながら、たたいて音を出すと、水の量が増えるとともに音が高くなっていく。そして、ある一線を越えると音が響かなくなる。同じ音程でも径の細いコップならきれいに響く。
 太い弦で、高音域を出そうとすると、響きが悪くなる。

 オカリナの高音が出づらいという問題は、明田川氏が12孔オカリナを考案した時から付きまとっている問題だと思う。中塚先生は、音域がオクターブなら何の問題もないのです、とおっしゃった。
 オカリナという楽器は、高音域を立てて吹かなければならない、そういう楽器なのだ、と思えば問題はないのだが……。

 AC菅高音問題は今日も僕の中で進行中、まだ解けないままだ。
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アルトC菅高音問題

 アルトⅭ菅の高音、特に最高音のファの音がきれいに出ない、ひどい時には音が出ない、という問題がある。おそらくほとんどのオカリナ制作家がこの問題に頭を悩ましているのではないだろうか。
 他の菅ではきちんと出るのに、ことAC菅となるとまともな音が出ないオカリナがほとんどだ。それもオカリナを立てて、胸につけるようにして吹かなければいい音が出ないものが多い。
 なぜ、オカリナを立てて吹くと高音が出るのか詳しいことは分からないが、このようにしなければ音が出ない楽器はAC菅にかぎらず、僕は欠陥品だと思っている。
 なぜAC菅の高音が他の菅のようにうまく出ないのか。
 最近その原因が息圧の問題と関係しているのではないか、と思うようになった。

 ウインドウエイの大きさや吹き出し口の厚みな、歌口の形など他の要素も絡み合っているが、オカリナの歌口は、大きくすると音割れしはじめ、さらに大きくするとかすれてくる。この状態で、高音を出そうとすると息圧を強くしなければならない。もっと歌口を大きくすると音にならない。
 歌口を小さくするとクリアーな高音が出るが息圧を弱くしなければならない。強く吹くと詰まって音が出ない。
息圧を強くしても詰まらない高音がきれいに響く歌口の大きさは0・1mm単位の1点、ほんの少しずつ削りながら探り出すほかない。

 AⅭ菅よりも小さなオカリナは、楽器の大きさに対して同じ息圧だと相対的に息圧が強くなる。AⅭ菅よりも大きなオカリナは、楽器の大きさに対して相対的に息圧が弱くなる。
 AⅭ菅はどっちつかず、息圧が強から弱へ切り替わるところで、歌口の大きさがより厳しくなるのではないか……。(もちろん歌口の大きさだけでなく歌口周辺の形成も厳密に正確に作らなければならないのだが。)
 つまり、他の菅よりもより正確な形成をしなければいい音にはならない。
 というより、AC菅だけがいい音がしないのではなく、他の菅では割れたりかすれたりする音が目立たないだけなのだと思う。AC管できちんとした音を出せなければ、他の菅でも本当はいい音は出ていないのだ。
 何度も書くようだが、粘土で0.1mm単位の正確な形を作るのは、それこそ超絶的な技術を必要とする。
 ホキ美術館で、人間業とは思えない緻密な超絶技巧に接して、厳密な正確さにこだわるべきだという思いがますます強くなった。
 オカリナ1本に費やす製作時間が何倍にも増え、生産性はどんどん落ちて……。

ホキ美術館 超絶技巧

 千葉県の土気にある「ホキ美術館」に行ってきた。6年前に開館した時から1度は行ってみたいと思っていた。まだ行っていない人は、ぜひ行くことをお勧めする。
 写実、リアリズム、という言葉では足りない、ド具象という言葉でも足りない。とにかくむちゃくちゃ細部こだわった写真よりも正確だと思える具象絵画ばかりが延々と展示されている。
 このような絵画は、おそらく日本に特有なものなのではないかと思う。
 展示されているほとんどの画家は現存作家である。
 戦後の抽象、現代美術の様々の変化の中で、古典的な技法と言える油絵で具象絵画をずっと描き続けていた人達の作品なのだ。
 正確な描写力と髪の毛、睫毛、動物の毛、1本いっぽんの細部を描くテクニックには驚嘆する。
 写真で、紹介しても描いたものには見えないと思う。現物を観なければ、このすごさはわからないだろう。
 日本の伝統工芸に見る超絶技巧に通じる飽くなきテクニックへのこだわりが感じられる。
 おそらく現代絵画の一つの流派として後の美術史家は日本リアリズム絵画なんていう流派の名前をつけるかもしれない。
 写真の発明が、絵画の本質は再現性、つまりイメージを写し取ることではない、ということを明らかにした。
 絵画は、色と形を使って、再現するのではなく表現するものになった。
 形を変形、色を強調するなどし、様々な試みを経て、絵画はモデルを持たない色と形を純粋に描く抽象に向かう。
 その方法のモデルとなったのが、音楽である。音楽は、自然の音の再現ではない。モンドリアンや、クレーの絵画に音楽用語が多く使われている。クレーはバイオリンの名手であったとのこと。
 僕も抽象絵画を描いていた。
 ホキ美術館に展示されている古典的ともいえる現代の写実絵画の驚くべきテクニックを見ながら、ふと、見ている自分がテクニックばかりに感心していることに気が付いた。
 画家の表現しようとしているものを感じる前にテクニックへの驚きばかりが感じられ、彼らが表現しようとしたものへたどり着けないでいるのだ。テクニックが、表現を妨げている、と思った。
 音楽でも、超絶技巧に感心するあまり肝心の音楽が聞こえないことがある。テクニックは、表現と一体のものだ。テクニックは必要だが、それを感じさせてはいけないのではないか。
 とはいえ、かつて画家を志した僕は、この写実のすごさに憧れる。何かの本質に迫る誘惑を持っている。
 そして、オカリナの製作は髪の毛1本にこだわる超絶技巧であるべきだと思う。
プロフィール

森秀文

Author:森秀文
多摩美術大学絵画科卒
長く木版画の制作にいそしむ。
1991年頃よりオカリナの制作を独学で始める。
オカリナ演奏を山本千恵子に師事。
ギター演奏を長谷川郁夫に師事。
現在「くじらギター重奏団」メンバー。
ルアー・フライフィッシング、野菜の栽培も行っている。

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