タンザニア紀行 ⑥

 サファリとは、スワヒリ語で、探検旅行のことを言う。
 広大なサバンナを有する国立公園を観光するには、このサファリと呼ばれるツアーを利用する。
 トニーが、リチャードに頼んで、手配してくれた。
 このサファリにも1泊10万もするホテルに泊まるものもあらしいが、我々のは格安、といっても 3泊4日で一人$1000。キャンプ場でのテント生活。まさに探検旅行。

 7時半過ぎに4日分のテントなどを満載したランドクルーザでバックパカーッズホテルを出発。ドライバーは、フレッドという若者。あんまり英語は得意ではないらしい。コミュニケーションは、トニーのスワヒリ語だより。
 途中の町で食材、水などを積み込み、若い女性のクッキングスタッフが合流。
 彼女は英語が話せる、と言って名乗ったのだが、残念ながら何とトニーをはじめ全員、名前が覚えられない。我々は彼女と話すことがほとんどなかったが、トニーは、終始スワヒリ語で彼女のことをダダ(お姉ちゃん)と言っていた。

 その町からしばらく走ると、広い乾燥した平原に、観光用だというマサイの村や、市場が広がっている。その近く、モーテルの外のテーブルで1時過ぎにランチボックスをいただく。
ランチボックス チキン、チーズのサンドイッチ、サモサ、ジュース、ヨーグルト、バナナ、リンゴが丸々一個。リンゴはお腹いっぱいで食べられなかった。

 ンゴロゴロの国立公園入口に着く。ここから、ンゴロゴロを通り抜け、セレンゲッティー国立公園に行くのだ。
 同じようなツアーのランドクルーザが沢山許可をとるために待っている。
 バブーン(ヒヒ)が我が物顔で車の間を歩いていて、糞が、そこここに転がっている。みんな車から降りて、バブーンの写真を撮ったり眺めたりしている。
 車のボンネットにオスのバブーンが乗っかったので、トニーが、石を投げる真似をすると、このバブーン、歯をむき出して、威嚇してきた。びっくりして、トニーも僕もひるむほどの迫力があった。
 ところがフレッドがやってきて、追い散らすと、すごすごと逃げていった。フレッド曰く、黒い肌の人間は危険だと思っているのだそうだ。
 1バブーン バブーン2










 ンゴロゴロの入口からの道路は舗装されていない。山道をぬけ、地平線の広がる草原を100キロ以上のスピードでもうもうと土煙を巻き上げて走る。すさまじい振動、まさにサファリ・ラリーのようだ。
 そんなラリーを続けていると突然、キリンがあらわれる。
 フレッドが車を止めてくれる。キリンは車のすぐ近くまで来る。悠々と数頭の群れが、低木の葉を食んでいるようだ。こんなところにキリンがいるのだ。こんなに簡単に野生のキリンに出会えるとは、突然の出現に現実感があまりないような気がした。
キリン1 キリン 2









 しばらく走るとンゴロゴロとセレンゲッティーの境界、つまりセレンゲッティーの入り口に着く。
 セレンゲッティー入園の許可をもらう場所で、また、たくさんの車とともに待つ。木に巣を作り、小鳥たちが沢山歩いたり飛んだりしている。
セレンゲティーの入り口ダチョウ  許可を得、ダチョウの群れに出会い、キャンプ場に着いたのは7時を過ぎていた。
 荷物を下ろしテントを設営してもらう頃には暗くなる。
 テントは、いろいろな大きさのものがある。中にベッドを設えているようなものもある。
 我々のテントは、トニーとお父さん、僕とYが使う二張り。小ぶりだが二人で使うには十分。
 トイレは、一応水洗。その横に水シャワーと水道がある。照明があるのはここと、厨房の建物だけで、食事をする建物には、照明はない。
荷物を下ろす テントの設営









 それぞれのグループごとにテーブルを組み立て、あるいは、コンクリートの床にシートを敷いて、カンテラのようなものの明かりで、食事をとる。
 夕食はダダが作ってくれたスパゲティの肉がけ。暗い中で食べる食事もなかなか風情がある。
 満天の星空の下、テントに入り、寝袋に潜り込む。
 カンテラの明かりで夕食                








                      (つづく)
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タンザニア紀行 ⑤

 目が覚めて、雨音がするのに気づく。
 少し雨が降ったようだ。
 南半球にあるタンザニは今、冬。乾季なので、雨が降るのはおかしいのだ。
 そうは思いたくないが、やはり地球規模で環境が崩れているのではなだろうか。

 今日は土曜日なのでサンヤジュウの市場が開かれている。
 野菜をはじめとした食材を中心にあらゆる物が露店に並べられている。
 どこから運んでくるのか、大量のアボカド、バナナ、トマト、生姜、人参、米、豆、ジャガイモ、見たことのない野菜等々。少なかった が、肉や魚もあった。衣服、布、スマホや電化製品も並んでいる。人々は活気があり、ごった返している。
 市場、とはこういう場所のことなのだ、と思う。
サンヤジュウ市場  サンヤジュウ市場 バナナ









 市場を見た後、帰りは少し乗り心地のいいノアのバスに乗りお昼頃モシに帰り着く。
 途中、協力隊員が6人も亡くなったという交通事故の現場を通る。坂道の途中の道のわきに碑がたてられているのをバスの窓から見る。
 この事故がトニーのキャンペーンソングを作るきっかけになったようだ。
 
ユニオン・カフェ









 モシのトニー行きつけの店だった「ユニオン・カフェ」でカフェラテとビッザ、サラダの昼食をとる。
 西洋人が経営しているというきれいな店には、外国人の客が多い。
 従業員たちは、毎週のように通っていたトニーのことをよく覚えていて懐かしそうに話しかけてくる。
 グラスに入った、カフェラテは、きれいでおいしい。久しぶりのピザもおいしかった。
カフェラテ


 ピッザ









 その後バックパッカーズホテルにチェックイン。
 トニーは、見渡す限り畑しかないようなサンヤジュウから都会の風に当たりたくて、毎週のようにあのバスに揺られて、モシに来ていた、という。その目的の一つが、お湯のシャワーを浴びること。
 職員宿舎には水シャワーしかないので、お湯を沸かして体を洗っていたそうだ。
 モシで、水圧のしっかりしたお湯がきちんと出るシャワーのあるホテルのひとつ、バックパカーズホテルにもよく来たらしい。
 文字通りバックパッカーのためのホテル。バックパックひとつで、世界を旅している若者が多く利用する宿である。
 それにしても、こんなところで、トニーは2年間もひとりで頑張ったのだと改めて思った。
 明日は今回の旅のもう一つの目的、セレンゲッティ、ンゴロゴロ国立公園のサファリに出かける。
                                                   (つづく)

タンザニア紀行 ④

中庭の集会の生徒達 この日「サンヤジュウ中等学校」の校庭では生徒達が集まり、歌を歌っている。和音とか、ハーモニーとかというのではない、聞いたことのない魅力的響きだ。
 宗教の時間の歌の発表を行っているのだという。

 トニーは、タンザニア任期中に、交通事故が大きな問題になっているタンザニアのキャンペーンソングを作ることを頼まれ、「交通安全」という曲を作詞作曲。スワヒリ語の作詞は、チャチャと相談しながら作った。
 現地の人気グループと共にレコーディング。キャンペーン映像は歌と共に、テレビで放映され、交通事故緩和のために貢献したとのこと。

 チャチャとともに、トニーと職員室挨拶に行くが職員会議中。なかなか深刻そうで、なかなか終わりそうももない。職員室の外で待っていると、トニーの後任のナオコさんが、気が付いて出てきたり、トニーが来ているのに気づいた職員が、懐かしそうに個々に挨拶をしてくれる。
 会議が終わったので、職員室で、先生方全員に挨拶をする。
 その後トニーはチャチャと二人で中庭の生徒の前で歌をうたう。
 トニーのギターとキーボードでタンザニア国歌と波乗りジョニー、交通安全の3曲。
 国家と交通安全は生徒たちも一緒に口ずさんでいた。波乗りジョニーは、赴任中にトニーがチャチャに教えたらしいが、日本語で完全に覚えて歌っていたのには驚いた。
 ナオコさん曰く、トニーが歌ったり踊ったりしていたので、生徒は、日本人はみんな歌えて踊れるものだと思っていて、そうではないのだと生徒に説明しなければならなかった、とのこと。

 その後、トニーが教えた野球を生徒とともに校庭、(といっても草原に丸太で作ったサッカーのゴールがあるだけ)でやる。トニーがいなくなってからは、チャチャが教えていたというが、ルールが間違って覚えられていたり、打つときに右手と左手が逆になっていたりしたが、トニーは、急に来て違うというのも……、と何も言わず楽しんでいた。
 それにしても、生徒たちの身体能力の高さには舌を巻いた。投球フォームは、むちゃくちゃで、ほとんど肩だけで投げているのに速い球を投げるし、左右逆の手でも鋭い当たりを飛ばしていた。

 トニーは、チャチャ宅に戻ってから、夕食まで、風邪のせいか、寒いと言って、チャチャからもらった布をかぶって、寝ていた。この布は、旅行中ずっとトニーはマサイ族のようにかぶることになる。
 その間、僕は職員宿舎の外に出て、キリマンジャロが見えるはずだ、という曇った空の下で、オカリナを吹いた。キリマンジャロの頂上がかすかに、一時曇り空の中に見えた。

チャチャ宅での夕食 チャチャと奥さんが作ってくれた夕食は、トニーが買ったタンの焼き肉、牛肉とトマトを煮たもの、ホウレンソウと言っているがホウレンソウではない野菜の煮たもの、豆を塩で軟らかく煮たもの、をご飯にかけていただく。
 牛肉とトマトを煮込みご飯にかけて食べる料理は、タンザニアの定番料理で、トニーはこの料理のことを牛丼、と言い、チャチャの作る牛丼はタンザニアで一番うまい、のだそうだ。
 トニーも住んでいた隣の部屋を使っているナオコさんも来て、タンザニアのことをはじめ様々な話をし、あっという間に時が過ぎる。
 タクシーを呼んでもらいサミットへ9時頃戻る。
 水しかでないのでシャワーは使わず今日一日の様々な出来事を思い出しながら眠りにつく。
                                                   (つづく)

タンザニア紀行 ③

 トニーは、海外青年協力隊員として、モシから車で2時間弱の「サンヤジュウ」という田舎町にある「サンヤジュウ中等学校」で、2年間数学を教えていた。今回の旅行はそこをトニーが再訪する、ということがひとつの目的だ。
 カウンターパートナー(国際協力などで同じ作業をする受け入れ担当者)だったトニーより1歳年下の数学教師のチャチャとは、職員住宅が隣で、ほとんど共同生活のようなことをしていたらしい。
 チャチャは中国に留学中なのだが、今一時帰国しているのでトニーは彼との再会を楽しみにしている。

 バナナスープ タンザニア第2日目、リチャードの店「カモジャ・カフェ」に行き、バナナのスープとチャパティの朝食をとる。
 バナナのスープは、牛肉と青いバナナの煮込、口当たりがよくおいしかった。チャパティーは砂糖が入っていて、チャパティーというよりクレープのよう。
 ママに荷物を預かってもらい、ホテルに戻ったのだが、店からの帰り、トニーは、昨日のぬるいシャワーのせいか、風邪をひいた、と言って薬を買いに行く。頭痛がするようなのだ。
 少し休んで、いよいよサンヤジュウに向けてホテルを出る。
 モシは、タンザニアで、4番目に大きな都市だという。車の量も多く、スピードも出している。ほとんど信号がないので、道路横断には気を遣う。
 いたるところに露店があり、原色の衣服に身をまとった人々で、活気にあふれている。この色彩がアフリカンの黒い肌に映えとても美しく感じられる。
 歩道はほとんど土が露出しガタガタ。強い日差しと乾燥で、土ぼこりが舞い上がる。
 バスターミナルに着く。
 ターミナルは、車と人でごった返し、客引きの声で殺気立っている。
 バスの時間は、とトニーに聞くと、そんなのはない、客がいっぱいになったら出発だという。
 バスといってもハイエースを横四人掛けに改造し、20人以上も詰めこんで、さらに座れない人は立っているという状態で、100キロ以上のスピードで走るのだ。降りたい場所で降ろしてくれるし、空席があれば、どこでも乗せてくれる。料金は現金を手渡す。チケットなんかない。
 このバスで2時間弱、今日の宿サンヤジュウのツーリストロッジに着く。
 チェックイン後、またバスをつかまえてサンヤジュウのバスターミナルというか市場というか、まあサンヤジュウ村の中心といった ところに着く。様々な半露店のような店が並ぶ。
サンヤジュウの肉屋 そこの肉屋でトニーはタンを買う。チャチャへのお土産、彼の家で料理しえもらうとのこと。
 店の人は、こんなんの良く食べるなあ、と言っている。現地の人は、タンなど食べないらしい。トニーはチャチャにこの味を教えたらしい。
 近くの店で昼食。牛の肺、鶏肉を焼いたものを、塩とライムで食べる。
 トニーは、ご飯を頼んだが、ほかの3人は、現地の食べ物を、ということで、トウモロコシの粉を煮て固めたウガリを食べてみる。
 そのまま食べるとご飯のような旨みはあまりない。手でも揉み、餅のようにして、肉汁につけて食べるのだそうだ。
 またバスに揺られ、目的のサンヤヂュウ中等学校へ。
 収穫後の枯れたトウモロコシが広がる畑の中、どこからどこまでが、学校の敷地なのか判然としない中に平屋の校舎が並んでいる。
 最初に学校の後ろにある職員宿舎のチャチャの家へ。
 放し飼いになっている鶏を横目で見ながら、部屋に入るとチャチャが8ヶ月の赤ちゃんと一緒に、迎えてくれた。
 トニーが日本へ帰ってから、チャチャは教師の女性と結婚したのだという。
                                                      (つづく)

タンザニア紀行 ②

 海外旅行といえば、成田。しかし成田空港ができる前は羽田に国際線があり、見送りと出迎えに何度か来たことがあったが、新しい羽田の国際線ビルに来るのは初めて。
 いつの間にか立派なビルができていた。
 トニー親子と羽田の国際線ロビーで、夜の9時半に待ち合わせ、エミレーツ航空0時30分発でドバイへ。
 機内食を半分食べずっと眠っていたが、エコノミークラスの狭さ、座った姿勢は、腹部を圧迫する。腹が張り苦しく何度か目が覚めた。通路側の席ではなかったのでトイレに立つのがためらわれたが2度行ったらすっきりした。
 何があったかは、わからないが、管制塔からの指示で滑走路一つしか使えないので上空で待機するようにという指示があった、と日本語のアナウンスがある。JALとの共同運航便なので、ここまでは、日本人のキャビンアテンダントがいる。
 1時間ドバイ上空で待機、現地時間7時半到着。
 エレベーターを何度も上がったり降りたり、超近代的な広大な建物のなかを移動。
 これもオイルマネーのなせる業なのか、と感心する。
 ドバイで食べたアラブ食?出発ロビーでアラブ料理の食事をとり、出発時間まで、時間を過ごす。
 10時40分ドバイ発。 いよいよタンザニアに向かう。
 映画、を一本見て機内食を食べ、一眠りするとタンザニアの首都ダルエスサラーム。ジュリウス・ニエレレ国際空港に午後3時30分頃予定より30分程遅れて到着。
 初めて行ったインドのような雰囲気の空港でとても国際空港とは思えない。日本の地方空港のほうがもっと立派だろうと思えるほどの規模。ドバイ国際空港とのあまりの落差にいよいよこれからだ、と気が引き締まる思い。
 キリマンジャロ空港へビザを取り、入国審査をすませ、いったん空港の外に出て、3時間待って国内線に乗り換えてキリマンジャロへ。
 午後9時頃キリマンジャロ空港到着。迎えの車で40分ほど、キリマンジャロ登山口の町「モシ」のホテルに着く。
 ホテル近くのトニーが、派遣されていたとき友達になって、よく通っていたというリチャードの店「パモジャ・カフェ」に行く。街は照明があまりなく、暗い。
 その後、リチャードはオーストラリアに行き旅行業をやっている。今はリチャードのママと妹がこの店をやっている。
 我々をママが、ハグして迎えてくれる。
 夕食をとっていなかったが、時差と機内食で、あまりお腹は空いていなかったので、ポテトチィップスでトニーとお父さんはビール、僕とYは水を飲む。
 トニーが温かいお湯のシャワーが出ることを条件に予約してくれたホテルは、部屋の中にシャワーがあり一応お湯が出るのだが、ちょろちょろ、という感じにしか出てこない。
 トニーとお父さんの部屋には、シャワーがなく部屋の外のシャワーを使ったらしい。
 お湯の出が悪いシャワーを浴び、蚊取り線香をつけ、蚊帳をかぶり12過ぎに眠りにつく。
 明日は、トニーが赴任していた「サンヤジュウ中等学校」を訪れる。
                                                  (つづく)

タンザニア紀行 ①

 自分の生涯の中でアフリカに行くことはないだろうと思っていた。
 アフリカは、少年ケニアやジャングル大帝の世界であり、サバンナの動物や自然にあこがれても、実際に自分が行くような場所だとは思えなかった。
 かつての同僚トニー(トシアキ)が、海外青年協力隊に志願しタンザニアに派遣されてから、アフリカが近づいてきた。
 トニーが派遣されている時に行こうと思ったのだが、申し込もうとしたツアーが成立せず(トニーはツアーでなく、来てくれれば案内するからと言ってくれたが)断念した。
 やはりアフリカには縁がないのだ、と思った。
 それからトニーは、任期を無事終了し帰国、元の数学教師に復帰した。
 彼が帰国して三年、トニーのお父さんが、彼が派遣されていた場所を見たいというので、タンザニアを再訪する、ついては一緒に、と誘ってくれた。

 というわけで、8月4日から14日の10日間の予定で、タンザニアに行くことが決まった。
 トニーが飛行機をはじめ全ての手配をしてくれるので、僕とY(妻庸子)とお父さんは、トニーの後をついていけばいい。
 だいたいツアーがつぶれたという理由で、タンザニアに行かなかったのは、自分の力でタンザニアまで行く自信というか勇気がなかったからだ。
 海外旅行は、ここ5年ほど行ってないが、インド、チベット、中国(敦煌)、イギリス、イタリア、カナダ、韓国などに行ったことがある。ただ、全て誰かに連れて行ってもらったもので、自分で計画し、自分の力で、行ったことは一回もない。英語も満足にしゃべれない僕は、自分の力だけで海外旅行をする度胸はない。
 自分一人で行かなければならないと思えば、必死で準備をするのだろが、出発日が近づいても、準備をしなければ、と思いつつ、ほとんど行く場所の地名さえうろ覚え。
 こんなんでいいのだろうか、何か緊張感がない、というか現実感がない。
 俺、本当にアフリカ行くんだろうか、と思っているうちに出発日になってしまった。
                                                      (つづく)
プロフィール

森秀文

Author:森秀文
多摩美術大学絵画科卒
長く木版画の制作にいそしむ。
1991年頃よりオカリナの制作を独学で始める。
オカリナ演奏を山本千恵子に師事。
ギター演奏を長谷川郁夫に師事。
現在「くじらギター重奏団」メンバー。
ルアー・フライフィッシング、野菜の栽培も行っている。

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