芝桜と川下り

2016年4月26日(火)
芝桜1 お天気がいいので思いついて、秩父の羊山公園の芝桜を見に行く。
 写真などで、想像していたよりも広くは感じなかったが、一面にしきつめられた花の絨毯はやはり一見に値する。木陰に腰を下ろし、持ってきたお昼を食べる。さわやかな風が心地よく、気分がいい。
 こんなに気持ちがいいのなら、朝ドラの家訓ではないがひと月に一度くらいは出かけて、外で風景を眺めながら食事するのもいいかもしれない、と思う。
川下り1  ただ、平日だというのに、これからゴールデンウィークになるとどうなるのだろうか、と思うほど人が多っかった。

 牧水の滝など眺め、秩父鉄道のお花畑駅から、これも思いつきで、長瀞へ行き、川下りをする。
 様々な形の岩が連なる中、まさに長い瀞場を下っていく。
 白鷺、鵜、真鴨、カル鴨、などに出会う。
川下り2
 船頭さんは、面白く話術巧みに様々な説明をしてくれた。この川は、全国で、2番目に魚の種類が豊富で、昨日サクラマスを釣った、とのこと。
 ただ、自然をぼんやりと眺めるのもいいものだ。
 帰りは疲れて、電車の中でほとんど眠って……。






スポンサーサイト

犀川釣行

 昨年と同じこの時期に長野県犀川殖産漁協のキャッチアンドリリース区間へ4月19日から4日間、忠類川の師匠とも言うべき、Sさんとともに遠征した。
 昨年は、大雨の後、泥川と化した初めての犀川で、ほとんど釣れないものとあきらめかかっていた時、笹濁りの最終日に63㎝のブラウントラウトを釣り上た。犀川

 今年は、川の状況もよさそうなので、大いに期待した。
 しかし、1日目、期待に反して、二人ともノーヒット。何人か、釣り人が入っているので魚がいないわけではない。しかし渋いのだ。

 2日目、1日何か所かのポイントを回り釣り続けた。Sさんが、ほとんど目の前まで、ルアーを追ってくる魚を確認。しかしやはり二人とも釣果なし。このままノーフィッシュのまま終わってしまうのか、という思いが頭をよぎる。

 3日目の早朝昨年ブラウンを仕留めたポイントで、40㎝くらいのニジマスがヒット。岸まで寄せたが、バラしてしまった。
 この日、近くに神奈川から来たという餌釣りの4人組の一人が、47㎝のニジマスを釣り上げるのを見る。それから、もう一人の人が40㎝以上のニジマスを釣り上げた、とSさんが言っていた。
 その後、Sさんが38㎝のニジマスを釣り上げ、なとか、魚の姿を見ることができた。
 午後雨になり、納竿。

 最終日、増水し、流れも速くなり、笹濁り。
 シンクッティップを一段重いものに変えて、12時まで新しいポイントで竿を出すが、二人ともノーヒット。
 昨日魚に出会った、ポイントで最後の釣り。
 あきらめてはいけない、と言い聞かせながら釣り続けるとコツンという感触が伝わってくる。根がかりなのかと思ったが、フライを交換するたびに起こるので、これは魚がつついているのかもしれないと思う。
 Sさんが、帰り支度をする中、フライを今まで使ってなかった色に変え、最後の2回と決めて、キャスト、1回目……、2回目……ヒット!……50㎝のニジマスを最後の最後に釣り上げた。本当にうれしかった。
50㎝ニジマス
 ここ3回の遠征、全て最終日に大物が釣れるということが続いている。
 けしてあきらめてはいけない。
 愚直な修行僧のようにキャストを繰り返すのだ。

C&R(キャッチアンドリリース)

 4月13日に開成水辺FSへ、午後、久しぶりに忠類川などでご一緒させていただいているMさんとイブニングライズ狙いで、営業終了時間まで釣りをした。
 イブニングではなく釣り開始早々大きな群れが、目の前に入りライズも少しあった。しかし、思ったほど食わない。食いが浅くバラシも多かった。それでも僕は29匹釣り、Mさんは十分釣れた、とのこと
 新作のルアーのテストも行った。何とかうまく泳いでくれたのだが、ルアーでは魚は釣れなかった。
 40㎝のニジマスを1匹キープ。次の日に、フライにして美味しくいただいた。
 最近管理釣り場の魚は、フライで食べるのが一番、と思うようになった。

 さて、魚は、食べるために釣るもので、食べない魚を遊びで釣ったりするものではない。
無益な殺生をするな、と教えられた。
 だから、釣った魚は食べるものだと思っていた。けれど、子供のころから、食べるためだけに釣りをしていたのではない。食べるのは、釣りをした結果、というか釣りの最終過程だった。食べなければ釣りが完結しない。この感覚は今も同じだ。
 だから、意識して釣りを始めたころ、キャッチアンドリリースなど考えられなかった。どんな小さな魚も持ち帰って食べた。
 その考えが変わったのは、渓流と管釣りで釣りを始めてから。
 東京近郊の渓流釣りのできる渓では、ほとんど自然に育った魚はいない。成魚放流された魚を釣っているのだ。
 放流日に行くと場所取りのために未明から人が並び、放流が始まると、放流している片端から釣られてしまい、ほとんどの魚が、その日のうちに釣り人に持ち帰られる。つまり、渓には放流日にしか魚がいない、という状況が続く。
 そんな中、C&R区間が、ところどころ儲けられるようになった。
 管釣りでは、持ち帰りの制限がある。
 釣った魚はほとんど死ぬと思っていたが、バーブレスフック(かえしのない鉤)で上手にリリースすれば80%以上の魚が生き延びるということがわかって、僕もC&Rをするようになった。
 今、海の魚は食べきれないほどは釣れないし渓流魚に比べるとおいしいので持ち帰るが、淡水での釣りは、リリースが前提となっている。

 興味深い話がある。
 ガイア(地球生命体)という仮説を作り出したジェイムズ・ラブロックという学者がいる。
 彼は自分の所有する森で害獣と化したリスを食べたらしい。
 リスを殺すことが許されるのは、食べることだけだと考えたからだ。しかし、リスは食べられたものではなかったらしい。それで、彼は、仕方なくリスを放置した。
 その結果は……森は豊かな自然を取り戻した、というのだ。

 自然は、生態系が壊れたところを補修しようとする。
 自然を回復させるための人間の様々な手立ては、むしろ不自然なことが多いのではないか。
 むしろ何もしないことが、長い目で見ると自然の回復につながっているのではないかと思う。
 自然の一部である人間が、自然に対して何かしているように感じるのは思い上がりでしかない。自然は我々の前にあるのではなく周りにあるのだと誰かが書いていた。

 今週、昨年63㎝のブラウントラウトを仕留めた長野県犀川のC&R区間へ、遠征する。

春の一日

 もうだいぶたってしまったけれど4月5日「ニューヨーク眺めのいい部屋売ります」という映画を妻と「高井戸シネマ」まで見に行った。高井戸にあるこの映画館は、新作の映画を少し遅れて見せてくれる。昔の名画座の雰囲気を残した映画館。
 映画は、エレベーターのない5階の部屋に住む子供のいない画家と元教師の老夫婦の話。彼は屋上で、野菜を作たりもしている。
 僕もエレベーターのない4階の眺めの悪くない部屋に住んでいる。妻も教師だった。子供もいないので、ちょっと身につまされる。
 近くの店で、パスタとピッザの昼食をとり、帰り道、花見シーズン真っ盛りだったので、吉祥寺の井の頭公園へ行ってみた。
 曇りのウイークデーだというのに、公園は、花見する人でいっぱい。桜の季節にここへ来たことはなかった。こんなに見事に桜が咲くところだったとは知らなかった。
 ここの池のボートに乗った恋人たちは、公園に祭られている弁天様が嫉妬して、必ず別れてしまう、というもっぱらのうわさ。
 森山直太朗のメジャーデビュー曲「さくら」はここで思いついたわけではないだろうけれど、デビュー前の彼がここで、路上ライブをしていた、と聞いたことがある。
 桜1 桜2
 池の周りを歩いていたら、「夏の思い出」や「雪の降る街」で知られている中田喜直の「ちいさい秋みつけた」のピアノの形をした碑があった。この公園を散歩していた時に思いついた曲らしい。
 中田喜直は、ピアノが日本人(本人)の手には鍵盤の幅が広すぎるので、幅の小さなピアノの制作を提唱していた。他の楽器は子供用や、手の大きさに合わせた楽器があるのだからピアノもそうすべきだ、と言って、実際に自分用の幅の小さいピアノを作らせていた。
 しかしこの提案は、普及していない。理由は、多分ピアノが持ち歩けないということ。
 自分のピアノを演奏会場まで運ぶ演奏者もいないわけではないが、ピアノは、演奏会場にあるものを使うので、共通の大きさのピアノに自分を合わせるしかない、ということなのだろう。
 中田喜直碑部分 中田喜直碑
 近くには、故高田渡が、こよなく愛し、毎日顔を出していたといういせやが今日も人でいっぱいだった。
 春の一日、ぶらぶら公園を散歩するのも悪くなかった。
プロフィール

森秀文

Author:森秀文
多摩美術大学絵画科卒
長く木版画の制作にいそしむ。
1991年頃よりオカリナの制作を独学で始める。
オカリナ演奏を山本千恵子に師事。
ギター演奏を長谷川郁夫に師事。
現在「くじらギター重奏団」メンバー。
ルアー・フライフィッシング、野菜の栽培も行っている。

カレンダー
03 | 2016/04 | 05
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索フォーム
最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
カウンター
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる