薹が立つ

ホーレンソウとキャベツの薹 野菜が花をつけるために茎が伸びてくることを「薹(とう)が立つ」という。
 春になると野菜は花をつけ、結実するために中心部からまさに塔が立つように茎が伸びてくる。そのような野菜は硬くておいしくない。
 時期を過ぎたもの、さかりを過ぎたものお意味でもこの言葉が使われるのはそのためだ。
 しかし、立ってくる薹自体は柔らかくとてもおいしい。
 からし菜やのらぼう菜などは、この薹をかきとって収穫するため「かき菜」と呼ばれ菜花などと同じく春野菜として店頭にも並ぶことがある。
 子孫を残すためのエネルギーを全てこの薹に野菜たちは注ぎ込んでいる。味もよくやわらかで栄養価も高いはずだ。
 春になると様々な野菜の薹が立つ。
 ホーレンソウや、コマツナなどの薹は、店では売ってないので、野菜の栽培をしていいなければ、味わうことができないものだろうと思う。
 我が畑には今、カラシナをはじめとしてホーレンソウ、コマツナ、キャベツ、などの薹が立っている。
 これらの薹を手当たり次第にかき取って収穫する。
 命のリレーのために生み出されるものをいただく。
 おいしい。
 まさにいただきます、なのだ。
 自然の営みに感謝……。
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秋の収穫

又人参 今年は、天候に恵まれず、夏の台風と日照不足で、野菜は不作で、市販のものは高騰。
 たしかに北海道の台風被害は深刻のようだ。しかし、高騰の原因は、不作だけではなく不作に便乗した市場原理が働いたのではないかなと思う。
 なぜなら僕の畑はそれほどでもないからだ。すこし成長が遅れたかな、といった程度なのだ。
 他の畑も特に不作のようには見えない。
 「人参が今年はまだ、大きくなってないので、収穫できない」といった声も聞いたが、僕の畑の人参は、今年はできがいい。肥料(鶏糞)をたくさん鋤き込んだせいかもしれない。
 ただ、今年の夏は暑く、人参の種まきにはいつも苦労するが、今年は半分ほどしか発芽せず、追蒔きをしなければならなかった。
 キャベツとブロッコリーも8月海外旅行にでかけたので、苗づくりはあきらめて、直播きしたら、これが見事に失敗、キャベツ1本を残し全滅。
 しかし、同じように直播した白菜は、順調に育って、今日収穫を迎えることができた。
 人参は市販の倍以上の大きさになり、又や、寸詰まりが多く、こぶが出ているものも多い。味はとてもいいのだが、見た目はよろしくない。スーパーなどではとても売れない規格外品ばかり。
 種まきしてから、気が付いたのだが、人参は肥料に根が当たると又になったり曲がってしまったりするのだ。たくさんの肥料を鋤込んで、すぐに種をまいた結果だろうと思う。
 これから、少し遅れているが、大根とカブの収穫も始まる。キャベツとブロッコリーの収穫が今年はないのだが、また野菜尽くしの毎日が始まる。
 ところで、写真のように、この人参、一株で二本分ある。いろいろな形のものがあり、見ても面白いと思う。
 規格外品ても食べる分にはおいしのに、やっぱり売り物にならないのかなあ……。

ズッキーニー

 春の収穫が始まっている。
 いつものように、採りきれない、食べきれない。
種まきを時間差で行えば、いいのだが、次期の作付が待っているので、なかなかうまくいかない。
 小松菜やサニーレタス、カブの間引き菜などの収穫を横目にバジル、コリアンダー、イタリアンパセリ、などの発芽してきた。その隣で、ズッキーニーの開花が始まった。
バジル、 コリアンダー、 イタリアンパセリ
 これら、イタリアンな野菜達は、昔は見たこともなかった。
 野菜の栽培をしていなければ、多分口にしなかったものがあったかもしれない。
 ズッキーニーは、海外からのお土産で種をもらったのが栽培するきっかけになったが、カボチャの一種なので、雄花と雌花ができ、実を若採りする。
 ほっておくとすぐヘチマみたいに大きくなり、キューリみたいに種が入る。大きくなっても食べられるけれど、味は落ちる。
ズッキーニー









 このズッキーニー、どうしたわけか、最初の開花は雌花がでて、雄花がない状態で咲いている。
 受粉しなければ、実はできない。花が咲いているのは1日。
 ということは、この雌花は、けして結実しない。
 雄花は、消耗品で、雌花は子孫を残すために実をつけなければならないのに、なんで雌花だけが先に咲くのだろう。
 自然の摂理に反している。品種改良の過程で不自然なことが起こっているんだろうか。
 それとも何かほかの理由があるのだろうか。
 僕などの考えを超えたなにか理由があるのだろうと思う。
 思えば、神羅万象知らない事ばかり……。

自分で蒔いた種は……

 収穫の秋。今、畑では、カブ、シュンギク、サムチェ、サニーレタスなどが穫れている。これから、大根、キャベツ、白菜、ブロッコリー、ニンジンなどが同時に収穫期を迎える。
 カブ2   サムチェ   春菊
    カブ                 サムチェとミズナ         シュンギク
 今日今期初めて大根を収穫した。種をまいて、間引きしただけなのに見事な大根に育ってくれた。大地とお日様に感謝。
      大根2

 自分で育てた野菜は、格別の味がする。それは、自分が育てたという思い込みからくるものだけではない。朝、収穫したてのカブを塩をだけふって食べる美味しさは経験しなければわからない味だと思う。
 しかし、いくら美味しくても、毎日同じものを食べると、まさに食傷してしまう。
 食卓には毎日大量の野菜が、これでもか、と言わんばかりに並ぶ。草食動物のウサギ、いや馬や鹿になった気分になってくる。馬鹿げた野菜の量である。
 知り合いや、近所にももらっていただくが、あまらせて捨てざるを得なくなるものもでてくる。もったいない、申し訳ない気分になる。
 自分の蒔いた種は自分で刈らねばならぬ。……そして、食べねばならぬ。

自然農法

 自然農法というものがある。
 できるだけ自然に近い状態で、作物を栽培する、ということなのだが、農薬や化学肥料を使わない有機栽培よりももっと手をかけない農法だ。
 農薬や、化学肥料はおろか、肥料自体を使わない。そして、耕しもしないし、除草もしない。
 種を播いて、(究極的には、種も播かない)収穫するだけの農法。
 
 自然農法は、世界救世教の岡田茂吉によって提唱されたものらしいが、僕と自然農法の出会いは、福岡正信の著書「わら一本の革命」である。
 無耕起、無施肥、無除草。つまり、耕さず、肥料も施さず、草取りもしない、ということが具体的に書かれていた。
 とりわけ、耕さないでも作物ができる、というのには本当にびっくりした。
 福岡正信は、わら一本の革命の中で、自分が、自然農法にたどり着くまでの経緯を書いている。
 後に「無の思想」というようになる、何もしないでいい、という考え方は、僕が若かった頃似たようなことを考えていたこともあり、興味をもった。
 存命中、福岡正信の講演会に行ったこともあった。

 しかし、自然農法は、簡単ではない。
 合鴨農法を確立した、古野隆雄は合鴨農法に至るまでの有機栽培の苦労を無施肥、無除草、無収入。と笑って表現していた。
 福岡正信の著書を何度も繰り返し読んだ、という奇跡のりんごを作りだした木村秋則は、自殺寸前にまで追いつめられる。

 僕も自然農法のまねごとを続けてはいるが、種を播いて収穫するだけ、というわけにはいかない。
 生態系が完全に機能しているとはいえない市民農園では、やはり肥料をやったほうが収穫量が多いし、大根などの根菜類も耕したほうがいいものが採れる。
 草をそのままにしておくと、市から除草するように電話がかかってくる。

 自然の一部である人間が、自然から遠ざかろうとする。それを文化というのかもしれない。
 カルチャー(文化)という言葉は、本来は耕されたところという意味らしい。耕さない農法は、非文化的な農法だ。
 人間は自然と文化の間で、振り子のように揺れている。片方にばかり揺れることはできないのかもしれない。

三つ葉 三つ葉を摘んできて、しおれないようにジャムの瓶にさした。
 この三つ葉は種を播いて3年になるが、何もしていない。毎年自然に大きくなり、種がこぼれて、また新しい株が育つ。
 究極の自然栽培は、山菜採りと同じように採集するだけ。






プロフィール

森秀文

Author:森秀文
多摩美術大学絵画科卒
長く木版画の制作にいそしむ。
1991年頃よりオカリナの制作を独学で始める。
オカリナ演奏を山本千恵子に師事。
ギター演奏を長谷川郁夫に師事。
現在「くじらギター重奏団」メンバー。
ルアー・フライフィッシング、野菜の栽培も行っている。

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