なんちゃって金継ぎ

金継ぎ1 オカリナ演奏の師匠である山本先生から、時々生徒さんの割れたオカリナの修理を頼まれる。
 自分の作ったオカリナではない。
 割れたオカリナの中が覗けて、自分のオカリナでは出せない様々な個性を持つオカリナの音色がどこから来るのか調べられるので、修理は好んでやらせてもらっている。
 先日も2個のオカリナを頼まれたのだが、頼まれていたその時に膝の上にのせていた自分のAC菅が床に落ちて割れてしまった。
 自分のオカリナももちろん修理した。
 中が覗けて、なるほどなるほど…、外からは見えないところに小さなクラックがあった。このクラックを埋めると……。
 
 これを機会に、前から試してみようと思っていた金継ぎをやってみた。
 本当は、漆を使うのだが、通常の補修と同じ接着剤を使い、金箔を押した。金箔、と言っても本物ではなく真鍮箔。
 つまり、なんちゃって金継ぎなのだが、緋襷とうまく絡まっていい感じに仕上がった。
 割れたオカリナをつなぐと真っ白のものや、真っ黒のもの以外は、継ぎ目がどうしても目立ってしまう。
 今度から希望される方には、金継ぎをしてもいいかも……。
金継ぎ2 金継ぎ3
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アルトC菅高音問題再び

 今日もアルトC菅の製作に苦戦。納得のできる音にならない。

 先日、「オカリナを立てて吹くと高音が出るのか詳しいことは分からないが、このようにしなければ音が出ない楽器はAC菅にかぎらず、僕は欠陥品だと思っている。」と書いた。
 「欠陥品」という言葉はあまりに過激、というか適切ではなかったと思う。
 オカリナの音は、個人の感覚によって違っている。あくまでも僕個人のことであるので、それを一般化するような表現はよくない。
 僕のオカリナは立てて吹くといい音にならない。そうではない音を追及している、ということを言いたかったのだ。
 クリアーな音は味がない、かすれる音や、割れる音がいい音だと感じる人もいれば、柔らかな響く音よりも硬い強い音を好む人もいる。
 立てて吹くオカリナの高音がいい音だと感じる人には、挑戦的だと思われたに違いない。
 ただ、オカリナの高音域に限って、立てて吹かなければいけない、というのはやはり楽器の機能としては違和感を覚える。すべての音を立てて吹くというのなら、そのような吹き方をした方がいい音が出る、ということになるのだが高音域に限って、ということになると……。

 ギターを弾く時の断弦位置は、サウンドホールの少し駒寄りのポジション(ノーマルポジション)ということになっている。
 ノーマルポジションよりもネック方向にずらして弾くと弱くやわらかな音がする。駒近くで弾くと硬く強い音が出る。サウンドホール真ん中で弾くと一番響く音になる。
 そして、これらの位置を時によって使い分けるのだが、硬く強い音を必要とするフラメンコギターなどは、駒近くがノーマルポジションらしい。
 ただ、これらの使い分けは音色の違いであって、音の高低にはあまり関係がない。

 ピアノや、ギターなどの他の楽器でも、高音域があまり響かない楽器がある。高音になるとコツコツというような響きのない音になるのだ。名器はこの高音ののびが素晴らしい。
 このような現象は、大きな楽器の高音域に現れる。
 コップに水を入れながら、たたいて音を出すと、水の量が増えるとともに音が高くなっていく。そして、ある一線を越えると音が響かなくなる。同じ音程でも径の細いコップならきれいに響く。
 太い弦で、高音域を出そうとすると、響きが悪くなる。

 オカリナの高音が出づらいという問題は、明田川氏が12孔オカリナを考案した時から付きまとっている問題だと思う。中塚先生は、音域がオクターブなら何の問題もないのです、とおっしゃった。
 オカリナという楽器は、高音域を立てて吹かなければならない、そういう楽器なのだ、と思えば問題はないのだが……。

 AC菅高音問題は今日も僕の中で進行中、まだ解けないままだ。

アルトC菅高音問題

 アルトⅭ菅の高音、特に最高音のファの音がきれいに出ない、ひどい時には音が出ない、という問題がある。おそらくほとんどのオカリナ制作家がこの問題に頭を悩ましているのではないだろうか。
 他の菅ではきちんと出るのに、ことAC菅となるとまともな音が出ないオカリナがほとんどだ。それもオカリナを立てて、胸につけるようにして吹かなければいい音が出ないものが多い。
 なぜ、オカリナを立てて吹くと高音が出るのか詳しいことは分からないが、このようにしなければ音が出ない楽器はAC菅にかぎらず、僕は欠陥品だと思っている。
 なぜAC菅の高音が他の菅のようにうまく出ないのか。
 最近その原因が息圧の問題と関係しているのではないか、と思うようになった。

 ウインドウエイの大きさや吹き出し口の厚みな、歌口の形など他の要素も絡み合っているが、オカリナの歌口は、大きくすると音割れしはじめ、さらに大きくするとかすれてくる。この状態で、高音を出そうとすると息圧を強くしなければならない。もっと歌口を大きくすると音にならない。
 歌口を小さくするとクリアーな高音が出るが息圧を弱くしなければならない。強く吹くと詰まって音が出ない。
息圧を強くしても詰まらない高音がきれいに響く歌口の大きさは0・1mm単位の1点、ほんの少しずつ削りながら探り出すほかない。

 AⅭ菅よりも小さなオカリナは、楽器の大きさに対して同じ息圧だと相対的に息圧が強くなる。AⅭ菅よりも大きなオカリナは、楽器の大きさに対して相対的に息圧が弱くなる。
 AⅭ菅はどっちつかず、息圧が強から弱へ切り替わるところで、歌口の大きさがより厳しくなるのではないか……。(もちろん歌口の大きさだけでなく歌口周辺の形成も厳密に正確に作らなければならないのだが。)
 つまり、他の菅よりもより正確な形成をしなければいい音にはならない。
 というより、AC菅だけがいい音がしないのではなく、他の菅では割れたりかすれたりする音が目立たないだけなのだと思う。AC管できちんとした音を出せなければ、他の菅でも本当はいい音は出ていないのだ。
 何度も書くようだが、粘土で0.1mm単位の正確な形を作るのは、それこそ超絶的な技術を必要とする。
 ホキ美術館で、人間業とは思えない緻密な超絶技巧に接して、厳密な正確さにこだわるべきだという思いがますます強くなった。
 オカリナ1本に費やす製作時間が何倍にも増え、生産性はどんどん落ちて……。

ジャパン・オカリナ・フェスティバル

 今年もジャパン・オカリナフェスティバルに今年も参加した。
 演奏は、ギターの師匠長谷川先生に伴奏をお願いして、「G線上のアリア」と「雨にぬれても」を吹いた。伴奏に支えられて、何とか演奏を終えたが、ドキドキもの。
 聞いていた妻は、「G線上」は音程が甘い、とのこと。もっと吹き込まないと、とまたもやいつもの反省。
 出演前、毎回スタッフとして、舞台進行をしていただいている、オカリナの演奏と制作をされる方と話をしていた。その方は、やっぱり、オカリナは、製作と演奏が一体になっていなければならないですね、というようなことをおっしゃっていた。

 今回の展示場所は、右手にサウザンスリーブスの千葉さん、左手は、ピエタの丸山さん。お二人とも演奏も、製作も定評の人達。
 丸山さんとは2年ぶり、また様々なことについてお教えいただいた。
 このお二人に挟まれて、谷間のようにMORI OCATRINAはへこんでしまうような気がした。
 お二人とも演奏は、非の打ちどころのない素晴らしい出来。
 あんないい演奏をする人の作るオカリナはきっといいものに違いない、と思わない方がおかしい。
 そのお二人に比べて、僕の演奏は……へこんでしまうのだ。
 いいオカリナかどうかを決め選ぶのは、感覚的なものである。
 オカリナは、息圧を始め吹き方によって大きく左右される楽器。スタッフの方が言っていたように自分で吹く楽器は、自分で作るか、オーダーしたものを使うべきなのかもしれない。
 最初からいいものだと思っているオカリナは、自分の吹き方が悪い、合わないのだろうと思うが、そうでないものは、オカリナの方が悪い、合わないと思うのではないか。
 今回のフェスティバルは、15周年記念ということで、最後に宗次朗氏の演奏があった。その中で、彼は、自分のプロヂュースした オカリナの高音が出ない、と苦情が来る場合があるが、僕が吹くと全部ちゃんと出る、楽器のせいではないのですよ、と笑顔で説明していた。
 あまりいい楽器でなくても上手い人が吹けば、いい音がする。しかし、どんな名器でも下手な人が吹けば、いい音はしない。誰が吹いてもいい音がする楽器などない。

 かつて、ピアニスト、リヒテルはピアノを選ばず、悪いピアノはない、そのピアノをコントロールできないだけだ、と言ったそうだ。
 しかし、ベートーベンは、彼の時代のピアノに不満で、メーカーに改良を命じ、鍵盤の数を増やし、ぺタルの位置を現在の位置にするなどし、今あるピアノの形にした改革者らしい。
 ……ベートーベンが、普通のピアニストだったら、メーカーはその要望に応じただろうか。
 いい楽器を作りには、いい演奏家がいなければならない。
 いいオカリナを作るには、いい演奏家でなくてはならない。
MORI OCARINA
 丸山さんは、その曲が体にしみこむほど練習する、とのこと。
 いい演奏をされる方は、ほとんど暗譜、音楽が体にしみこんでいる。
 もっともっと練習しなければ……。せめて暗譜できるまで練習しよう。

向こうの世界へ誘う音

ハウザー1世コンサート 先週、長谷川郁夫先生の「100年前のドイツギター~名工ハウザー1世を聴く~」という。コンサートが行われた。
 会場に着くとまだ演奏会は始まっていなかったが、先生はすでにギター(ラウテ)をつま弾いておられその音を聞いてびっくりした。
 優しく、どこか遠くへいざなってくれるような、なんとも懐かしい響きなのだ。
 ガット弦(羊の腸から作られた昔ながらの弦)を使い、指頭奏法(爪を使わない奏法)で奏でられる名工ハウザー1世のラウテの音は、先生自身も「音楽の世界に連れてってくれるような音」「弾いていると時間を忘れてしまう楽器」と表現していた。
 この楽器で弾かれたバッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」の全曲演奏は圧巻だった。
 ギター用に編曲されたものではなくチェロ用の楽譜をそのまま弾かれたそうである。
 音楽には、確かに目に見えない世界、この世界とは別な世界、形而上と表現されるような世界、またあの世とか彼岸と言われるような、物心つく前に見えていたような世界に誘ってくれる力がある。
 ハウザー1世のような昔の名工は、このような音を知っていたのではないか、と後日長谷川先生は言っておられた。
 改めて、目指すべき音の世界に気付かされたような体験だった。
プロフィール

森秀文

Author:森秀文
多摩美術大学絵画科卒
長く木版画の制作にいそしむ。
1991年頃よりオカリナの制作を独学で始める。
オカリナ演奏を山本千恵子に師事。
ギター演奏を長谷川郁夫に師事。
現在「くじらギター重奏団」メンバー。
ルアー・フライフィッシング、野菜の栽培も行っている。

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