ホキ美術館 超絶技巧

 千葉県の土気にある「ホキ美術館」に行ってきた。6年前に開館した時から1度は行ってみたいと思っていた。まだ行っていない人は、ぜひ行くことをお勧めする。
 写実、リアリズム、という言葉では足りない、ド具象という言葉でも足りない。とにかくむちゃくちゃ細部こだわった写真よりも正確だと思える具象絵画ばかりが延々と展示されている。
 このような絵画は、おそらく日本に特有なものなのではないかと思う。
 展示されているほとんどの画家は現存作家である。
 戦後の抽象、現代美術の様々の変化の中で、古典的な技法と言える油絵で具象絵画をずっと描き続けていた人達の作品なのだ。
 正確な描写力と髪の毛、睫毛、動物の毛、1本いっぽんの細部を描くテクニックには驚嘆する。
 写真で、紹介しても描いたものには見えないと思う。現物を観なければ、このすごさはわからないだろう。
 日本の伝統工芸に見る超絶技巧に通じる飽くなきテクニックへのこだわりが感じられる。
 おそらく現代絵画の一つの流派として後の美術史家は日本リアリズム絵画なんていう流派の名前をつけるかもしれない。
 写真の発明が、絵画の本質は再現性、つまりイメージを写し取ることではない、ということを明らかにした。
 絵画は、色と形を使って、再現するのではなく表現するものになった。
 形を変形、色を強調するなどし、様々な試みを経て、絵画はモデルを持たない色と形を純粋に描く抽象に向かう。
 その方法のモデルとなったのが、音楽である。音楽は、自然の音の再現ではない。モンドリアンや、クレーの絵画に音楽用語が多く使われている。クレーはバイオリンの名手であったとのこと。
 僕も抽象絵画を描いていた。
 ホキ美術館に展示されている古典的ともいえる現代の写実絵画の驚くべきテクニックを見ながら、ふと、見ている自分がテクニックばかりに感心していることに気が付いた。
 画家の表現しようとしているものを感じる前にテクニックへの驚きばかりが感じられ、彼らが表現しようとしたものへたどり着けないでいるのだ。テクニックが、表現を妨げている、と思った。
 音楽でも、超絶技巧に感心するあまり肝心の音楽が聞こえないことがある。テクニックは、表現と一体のものだ。テクニックは必要だが、それを感じさせてはいけないのではないか。
 とはいえ、かつて画家を志した僕は、この写実のすごさに憧れる。何かの本質に迫る誘惑を持っている。
 そして、オカリナの製作は髪の毛1本にこだわる超絶技巧であるべきだと思う。
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流行性感冒

インフルエンザ薬  明日は釣りに行こうと思っていた日、不覚にも体調が悪くなった。
 体がだるく頭が重い。夜になってますます症状が悪くなってくる。釣りに行けるような状態ではない。
 熱はそれほどでもないのだが、頭痛が我慢できないほどなのだ。
 次の日かかりつけの医院に行くとインフルエンザの検査をしましょう、と鼻の穴の奥まで、長い針金の綿棒のようなものを差し込まれて粘液らしきものを採取された。「10分ほどかかります。」と先生に言われ、診療室を出て待つ。
 再度呼ばれ、「森さん、あたりですよ、A型のインフルエンザです。」先生は嬉しそうに言うのだった。
 帰宅してすぐ、左右からスライドさせるボタンが付いた目薬のような容器をトントン机に打ち付けて、吸い口から粉の薬を吸い込む。左右のボタンをスライドさせて一回ずつ、それをもう一容器合計4回吸い込む。インフルエンザの特効薬らしい。
 他に解熱鎮痛剤いわゆる頓服をくれたが、薬はこれだけ。頓服も飲んで即ベッドへ。
 するとあれほど苦しかった頭痛が、鎮痛剤なのか特効薬のせいなのか、だんだんなくなっていくではないか。
 次の日には、熱も頭痛もほとんどなくなっていた。
 普通の風邪だってこんなに早く良くはならない。恐ろしいほど効き目がある。

 昨年アドラー心理学に興味を持ち、岸見一郎氏の「アドラー心理学入門」を読んだ。
 岸見一郎氏の同名著書を下敷きにしたテレビドラマ、「嫌われる勇気」が始まった。
 アドラー心理学のエッセンスを盛り込んだ、刑事ドラマだ。
 アドラー心理学は流行なのかなと思いながら、病も癒え初回を観ていると、妻があなたは本当に流行通りだと言う。
 今とても流行っているインフルエンザにもいち早くかかったし……俗物でミーハーってことか?
 流行を追いかけているわけではないのに、自分が興味を持つものが何故か不思議と流行る。
 時代に敏感なのだろうか、まさか時代を先取りしている……わけない。

喫茶店の本屋

シホンケーキとコーヒー 先週耕心館でのコンサートも終わり、原則土曜日のくじらギター重奏団の練習、今日は武蔵野会館。
 基本朝9時から5時までお弁当持ちで練習しているが、今日は4時半くらいに終了し、練習場所近くの中神駅前の本屋と喫茶店を一緒にやっているお店にみんなで行った。
 大きな本屋の中に喫茶店を併設しているところはあるけれど、ここは、喫茶店の中に本が並べてある、といった感じで、驚いたことに飲み物を注文すれば、売り物の新刊本をそこで飲みながら読んでもいいというのである。
 若い頃、本屋で本を買い、よく近くの喫茶店で買った本を読んだ。この時僕は大げさに言えば至福の時を感じた。だからここは夢のような喫茶店。
 小さな店だが、NHKのテレビでも何度か紹介されたことがあるとのこと。
 注文した、シホンケーキとコーヒーの味も申し分なく、メンバーに武蔵野会館での練習の時は、このパターンがいいな、と思わず口走った。
 この日は、毎年恒例の釣り仲間の集まりがあるので、メンバーを残して一足先に店を出た。

 釣り仲間との飲み会を終えて帰宅するとちょうど日本シリーズ6インニング目、日ハムの優勝を見届ける。今年の日本シリーズは面白かった。
 来週の土曜日は、立川昭和記念公園での演奏会がある。練習しなければ……。

タンザニア紀行 ⑮

 このタンザニア旅行で、様々な体験をしたが、最も印象に残ったものは何だったのだろうと、考える。
 サファリの自然や、サンヤジュウなどでの人々の暮らしも興味深かったが、様々な場所で出会った子供たちの、あの笑顔が忘れられない。

 もう40年も前になるだろうか、ポルポト政権下のカンボジア、全ての国と交流がなく、何が行われているのかわからない中、ある国の撮影クルーがこの国に入った。
 この映像をNHKのテレビで見た。
 ポルポトは、共産主義の理想の国の建設が行われていると話していたように思う。
 しかし、この映像の子供たちの表情を見た時、これは駄目だ、と直観的に思った。どんなに取り繕っても子供の表情に現れる真実は隠せない。
 後になってクメールルージュによる革命の名の下、カンボジアはキリングフィールドと化し、すさまじい殺戮がおこなわれたことが明らかになる。

 タンザニアは、アフリカの中で、唯一独立における内戦のなかった国なのだそうだ。
 もう20年以上前、福岡正信さんの「タンザニア報告」という講演会に行ったことがある。
 その話の中で、タンザニアの子供たちが福岡さんが種を集めていることを知ると、いろいろな種を拾って持ってきてくれる。そのお礼に日本から持ってきた袋入りの種を渡していたところ、子供の母親が、やめてくれ、子供は、純粋に福岡さんが喜んでくれるから種を拾ってくるのに、褒美を与えたら、それが欲しくてそうするようになるから、と言われたという。
 福岡さんは、この母親は資本主義の原理を看破した、と話していた。物を交換することによって利益を得、その利潤を競争することによって成り立っている資本主義の社会。
 タンザニアの社会には、この原理とは違う、かつての我々の社会にもあった人と人との結びつきがあったのではないかと思う。
 しかし、合理性や効率を一番には考えないように見えるタンザニアの人々も、少しずつ近代合理主義の波に飲み込まれていくような気配が感じられた。
 
 モシで過ごした最後の日、スーパーマーケットのテレビで、リオデジャネイロオリンピックの中継を見た。
 タンザニアでは、テレビをほとんど見なかったのでオリンピックが始まっていた、ということを忘れていた。
 タンザニアの人々は、オリンピックにあまり興味がないようだった。
 幼い頃から競争にさらされる日本の今の子供達に、あのタンザニアの子供たちのような笑顔があるだろうか。
 やはり僕たちは、忘れかけている大切なものをもう一度思い出さなければならないと思う。
                                                         終

タンザニア紀行 ⑭

 タンザニアを後にする日、荷物をまとめて、リチャードが手配しくれた、キリマンジャロ空港への車をホテルで待っていた。
 このバックパッカーズホテルに日本人が、我々の他に3人宿泊していた。一人の若い女性は、この日早く出発した。残りの二人の若者。一人は、カイロからずっと南下してきたという。もう一人は、キリマンジャロ登山が目的らしい。
 世界をバックパッカーで旅している強者達。
 飛行機の中でも日本人には会わなかったので、こんなところに日本人はいないだろうと思っていたが、キリマンジャロに登山する日本人は多いので、いても不思議はない。
 トニーにご家族ですか、と聞いてくる。ここのような宿では、年配のフリーの旅人である我々の方が珍しいのかもしれない。
 そろそろ、車が来る時間……。こない、まだ?
 トニーが、ママのところに行ってみよう、とみんなでパモジャカフェに行く。ママに車が来ない、と話すと、今こちらに向かっているのだという。蕎麦屋の出前じゃあるまいし……。
 アフリカ時間、と言ってもこれはない、とニーが言う。
 遅れたらシャレにならない。気が気ではない。
 店のスタッフが、タクシーを拾いに走る。
 やはり車は来ない。
 拾ってくれたタクシーに飛び乗り、キリマンジャロ空港へ。
 事情を話し、とばしてもらう。まるで、サーキットを走っているよう。
 渋滞している。警察が、取り締まりをしているので、制限時速を守っているらしい。それを過ぎるとまた車を追い抜いて、スピードを上げる。時間に遅れることにも、車の走りにもヒヤヒヤ。
 何とか、搭乗時刻に間に合う。
 キリマンジャロ空港で、ほっとするのもつかの間、ダニエルサラームへの搭乗手続きへ。
 トニーとはここでお別れ。彼はこの後一人でさらに近隣の国々を旅行するのだ。
 お父さんとYと3人で日本へ帰らなければならない。

 搭乗して1時間半後、ダルエスサラームのニエレレ空港に到着。
 出国書類を書いていたら、僕よりはYは英語の読み書きははるかにできるはずなのだが、見かねて係りの人が手伝ってくれた。Yは職業欄に教師 ― 本当は元なのだが ― と書いていたら、教師なのに英語も分からないのか、とその人に英語で言われた、と言っていた。
 ダルエスサラームで、4時間待って、ドバイまで6時間飛行。夜の11時頃ドバイ到着。
 明日の朝8時の羽田行きまで、トランジェット。ホテルを予約してくれているのだが、この旅行で最も不安な時間が始まる。
 広大なドバイ空港で目的のホテルにたどりつくのは大変。たどたどしい英語で聞いて、チケットを見せたりして何度も訪ねて何とかたどり着く。
 トランジットのホテルは旅行中最も立派なホテルだった。ツインの広い部屋が一人ずつに割り当てられた。
 部屋の冷房がきき過ぎていて寒く、隣のベッドの毛布も掛けて眠る。朝、寒かったね、とYに話すと、「馬鹿じゃないの」。温度調節ができたのだという。
 5時にロビーに降り、バスで空港へ、また長い手続きを潜り抜け、出発ゲートへ。一時お父さんとはぐれてしまい、図分気を揉んだ。
 無事羽田についたのは、夜の11時前、最終電車に乗り帰宅、珍道中終了である。
 話されている言葉が残らず理解でき、帰る家がある場所に戻ってきた。かけがえのない何とも言えない安心感に包まれて眠りについた。
                                                     (つづく)
プロフィール

森秀文

Author:森秀文
多摩美術大学絵画科卒
長く木版画の制作にいそしむ。
1991年頃よりオカリナの制作を独学で始める。
オカリナ演奏を山本千恵子に師事。
ギター演奏を長谷川郁夫に師事。
現在「くじらギター重奏団」メンバー。
ルアー・フライフィッシング、野菜の栽培も行っている。

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